[TV-Variety] 島袋寛子 – My Anniversary SONG ~HEISEI SOUND ARCHIVE~ (BS-Asahi 2019.02.15)

島袋寛子さんの音楽人生に髙嶋政宏が迫る。
1996年当時、平均年齢13.5歳でデビューしたSPEED。
一世を風靡するも4年後の2000年に解散デビュー当時は11歳、解散したのが15歳だった。

あの頃すでに大人っぽくて、歌もダンスも上手くて日本中が驚いた。沖縄でスクールに入ったのが3歳の時だった。
3歳で始めて11歳でデビューして15歳で解散した。
だいぶ早いペースで人生が進んでいった。
そして叔母がギラギラしている人で、記憶に残っているのは赤い口紅とマニキュアだった。
幼い島袋をよく車に乗せて色々なところに連れて行ってくれた。その時車の中でよくかけていたのが、安全地帯の『ワインレッドの心』だった。
幼い頃から玉置さんの歌を聴いて育ったのは、いい音楽教育だったと思うという。

そして、人生が一変したというSPEEDの『Body&Soul』の大ヒット『Body&Soul』がいきなりヒットして、どんなことが変わったのか、デビュー当時の秘話を披露する。

タレント養成所時代、「世界で一番のスターになれ」、という感覚を叩き込まれた。
養成所時代、あこがれていた美空ひばりさんの歌をよく聴いていた。
当時、家にラジカセやコンポがなく、レッスン場で聴いた曲を耳コピして自主練習していた。
『われとわが身を眠らす子守唄』をスペシャルアレンジで披露する。

『ミス・サイゴン』の中の『命をあげよう』という曲の「捕まえなさい、チャンスを」という歌詞を、よく母から、聞いていた。
お母さん一人で育ててくれたので、この曲を聴くと母への想いが爆発する。
裕福じゃなくてもレッスンに通わせてくれて心だけは貧しくなるなと言われていた感動秘話を公開する。

島袋は、仲間とみんなでカラオケに行った時も夫と二人でマイクを持って熱唱するという。すごい夫婦だと言われるという。
カラオケの中でも、音楽の力はすごい、構成も何もかも神がかっている曲というある曲とは?
また、平成30年間の音楽史の中からゲストにゆかりのある1年にスポットを当てる、平成サウンドアーカイブのコーナーでは、
SPEEDがデビューした平成8年(1996年)を振り返る!

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